自己啓発本を批判する人たち

2021年の秋ごろにTwitterをみていたら、「おすすめの本100冊」として自己啓発本ばかりを100冊紹介したツイートがあり、それを引用リツイートして批判、嘲笑している人のツイートをフォロワーさんがリツイートしていたので目にしました。

ややこしいのでまとめます。
①おすすめの本として、自己啓発本100冊をツイートした人がいた
②①を引用リツイートして批判している人がいた
③②を私のフォロワーさんがリツイートしていたのを見た
④①②のツイートともに削除されているようです

返信(コメント)をみていると人が読む本にいろいろと言うものでもないというような意見とともに、自己啓発本を批判、嘲笑しているコメントがかなりあり、そのことがきっかけでこのブログを書くことにしました。

タスク管理パートナーのサイトでも自己啓発本はご紹介しています。それらも有意義なものであることを説明したいという気持ちがあることと、個人的にも自己啓発本からも新たな知識を学んで実践もしてきたので、自己啓発本を擁護したいという気持ちです。

このブログの結論としては、以下です。
「本当に批判したいのは自己啓発本ではなく、自己啓発本を読む人ではないか」
「自分の読んでいる本も、人が読んでいる本も公に批判する時は言葉を選ぼう」
「読みたい本はタスクにして忘れないようにしよう」

内容は、個人的な体験と感想がメインになります。

このブログを書くにあたり読んだ本

まずは自己啓発本や自己啓発について書いている本、論文、批判している本を複数冊読んで、批判される理由を探してみました。

『自己啓発の時代』牧野智一著/勁草書房

『日常に侵入する自己啓発』牧野智和著/勁草書房

同じ著者によるものです。論文に加筆修正して本にしたもので、自己啓発について以下のような視点は私には新しいものでした。
「コントロール不能なものはノイズとして排除する。だからこそ行く度か述べたように社会は変えられないものとしてあっさりと思考停止の対象とされてしまうのである。」そして、自己啓発本に見るジェンダーの問題など。

『「自己啓発病」社会』宮崎学著/祥伝社

「本書はこの「自己啓発」を推し進める論者たちの根底にある「論理」と「精神」の貧困を批判したものである。」と強く自己啓発メディアへの批判をしている本です。

『「自己啓発」は私を啓発しない』斎藤正明著/マイナビ

明らかに怪しい自己啓発セミナーなどに通いつめ、約600万円を投資した著者は「愚かな自分を、なんて自分はダメな存在なんだと嫌いになるよりも、愚かだが頑張っているし、明日はちょっとマシになると自分に優しい言葉をかけてあげる」ことをすすめています。

尾崎俊介 2015「アメリカにおける「自己啓発本」の系譜」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005730612(2021年11月29日)

自己啓発の出発点がキリスト教と関わっているという面白い内容です。論文ですが、読みやすく上記のURLから誰でも読めます。

これらの本と私自身が体験したことをもとに、ブログを書きました。

自己啓発本の定義

自己啓発本というのはどんな本でしょうか?

上記に紹介した本は自己啓発および自己啓発批判に関連することに焦点を当てていて、それは自己啓発本に限らず、勉強会、セミナーといったものも含まれ、引用している文章は、自己啓発メディア全般の定義ともなります。

自己啓発メディアについて素朴に考えれば、それは人々のさまざまな悩みに応える「処方箋」を提供するものであり、人々の生を支援しまた導く「現代人のマントラ」だということになるだろう。

『自己啓発の時代』18ページ

マントラとは「サンスクリット語で本来は文字,言葉を意味するが,宗教的には賛歌,祭詞,呪文などをさすために使われ,インドではベーダ聖典,またはその本文であるサンヒータのことをいう。」ブリタニカ国際大百科事典より

宗教であったり、カウンセリングであったり、悩みに応えてくれたり、支援してくれる媒体はいろいろとありますが、自己啓発本は、もっとも手軽で身近な媒体になるかもしれません。

どうしていいか行き詰った時に、何かしたいともやもやしている時に、はっきりと言葉にできない感情を表したいときにも自己啓発本は助けてくれます。

自己啓発本のベストセラーだけを見ても以下のように多様な分類があります。

  • 自らの内面と向き合うとする要素を持つもの
  • 仕事術本
  • 脳科学本
  • 話し方本
  • 経営者による人生論

また、女性向け、男性向け、年代別など読者の対象をしぼった本もあります。

哲学や心理学なども助けになりそうですが、自己啓発本の多くはその読みやすさゆえに手に取りやすいという利点もあると思っています。

自己啓発本の内容

自己啓発本には、どんな内容が書かれているのでしょうか?多くの自己啓発本に共通する内容と、頻出するコンテンツ「日常」「自分でコントロールできること」「差異化」についてご紹介します。

自分自身にどう向き合い、自分自身をどう変えていくのか。そのための手法と、それらの根拠となる著者の知識・経験や「哲学」が、自己啓発書の最も主たる内容である。

『日常に侵入する自己啓発』はじめにi

自分自身の認識を変革したり、資質を向上したいという気持ちがある時の指南書のようなものになるでしょう。

身近な人に教えてもらえるといいかもしれませんが、いつも都合よくいてくれるわけではない時に本は便利です。

自己啓発書は、より多くの人々が魅了されるような願望、より多く抱かれるような不安を掲げて人々を惹きつけ、それらへの処方箋を提出する書籍群なのだ、と。

『日常に侵入する自己啓発』はじめにⅱ

こうなりたいという思う本やちょうど困っていたことが書いてある本が見つかるなあと思っていましたが、ぼくの悩みは他の人も同じく持っている悩みだったのですね。

コンテンツ「日常」

日常の、普段の、今ここの生活を疎かにしているのではないか。そこに自覚的になることで、心理的な効用や、ビジネスに関する能力等が獲得できるのではないか、いやできるのだ。自己啓発書における焦点の一つはこのような、「日常」をどう過ごすかというところにおかれている。

『日常に侵入する自己啓発』3ページ

タスク管理パートナーのサービスでもこのホームページのブログでも毎日、つまり日常の過ごし方を重要視しています。

多くの場合、日々の積み重ねが結果につながることが多いからです。

コンテンツ「自分でコントロールできること」

今日の「自己啓発」ブームも、そういう状況の中で生まれたものなのだ。これもやはり不安に包まれた「自分探し」「希望探し」のなかで、「自分がコントロールできること」「自分でリセットできるところ」で自己本位にコントロールをおこなって、成功と幸福をゲットしようというものなのだから。

『「自己啓発病」社会』26ページ

多くの自己啓発本で自分でコントロールできることに思考や行動の対象を絞っています。よく言われる「他人と過去は変えられないけど、自分と未来は変えられる」もその一つです。

タスク管理パートナーでも自分でコントロールできることに絞って行動をサポートしています。

コンテンツ「差異化」

差異化とは誰に対してのものかというと、現状に満足し、仕事に没入せず仲間内で群れる会社の同僚であったり、所帯じみたおばさんであったりする他人との差異化と過去の自分という時間軸の違う自分との差異化という2つのパターンがあります。

すなわち、雑事に忙殺され、あるいはつい漫然と過ごしてしまい、目標に近づくことのできない現在の日常生活から脱却することを通して、現在の自分、あるいは他者との差異化を図ろうとするメディアである、と。

『日常に侵入する自己啓発』4ページ

多くは、世の人々を二つのタイプに切り分ける思考で、成功者とそうでない人、準備しかしない人と行動する人など。

いま、この国に氾濫する「自己啓発」ブームという現象に、私は大いなる違和感を懐いている。とりわけ、この現象の中心にある「差別化」なる言葉に対してである。この言葉を私なりに解釈するとー他人と同じことをしていては競争に勝てない。だから他人と違うところが人にわかるように努力しなくてはいけない。

『「自己啓発病」社会』3~4ページ

他人と比べることはおすすめしていませんが、過去の、昨日との自分より満足できる状況を目指していただいています。

自己啓発本との出会いと自己啓発本への印象

個人的な経験のご紹介です。自己啓発本を読み始めたのは20代前半でした。

偶然手に取った本から始まり、読後の成長した自分という感覚が好きで読んでいましたが100冊近く読むと「書いてあることは一緒だし、もういいか」と読まなくなりました。

『もしドラ』が流行った時、『マネジメント エッセンシャル版』を読んで書いてあることが、全く分からなかったのでドラッカーの読書会に参加してみました。

読書会というものがどんな会なのかも知りたい気持ちもありました。いろんな読書会に参加しましたが、主催者によってやり方も雰囲気も違うものでした。

年もそう変わらない参加者が会社を立ち上げていたり、自分で仕事をしている、そんな彼らがよく読んでいる本が自己啓発本でした。仕事に行き詰っていた私は、そういう本を読めば人生が開けるのかと思い再度読み始めました。

20代前半に読んでいたのはどちらかというと対象が女性の本。読書会参加後は、自己啓発本の古典のような本を読みました。新たな知識や視点をもたらしてくれる面白いジャンルだなと思い、その後も変わらずずっと読んでいます。他のジャンルの本と同じく、楽しめたり、新しい知識が得られたり、いまいちだと思う本もあります。

自己啓発本の役立て方

自己啓発本に限らずですが、本を役立てたいと思ったら思考することも含め、行動あるのみです。

本自体が役に立つ、立たないではなく、読者がそれをどう活用しているか、活用していないか、もしくは、行動したい内容があるか、ないかというだけです。なので、気になった本は数か月後、数年後に再読するのもおすすめです。

つまりセミナーで教えている内容は、「正しいか?間違っているか?」ではなく、「自分に合っているか?合っていないか?」という視点で聞かないといけないのです。(中略)勉強会でもセミナーでも、「教えてもらおう」と受動的に講義を聞きに行ってはダメで、「学びとってやろう!」という主体性が必要なのです。

『「自己啓発」は私を啓発しない』208~209ページ

役立たせる時にはこのような、意欲的に取り組む視点も役立ちますね。

そしてもちろん役立たせなければいけないこともないので、読んで満足でも十分だと思っていますが、多くの著者が行動を推奨しているせいか、自己啓発本だけ結果を求められたり、行動しなければ批判されるイメージはあります。

行動したい人はしたらいいし、したくない人はしなくていいのではと思っています。

なぜ自己啓発本が批判されるのか

個人的な感想ですが、批判したい人たちは、本ではなく、自己啓発本を読む人たちを批判したいのだと思います。

例えば、自己啓発本をよく読むという人と会った時に、こんなことが複数回あると嫌になってしまうかもしれません。

  • 自己啓発本を読む人たちと会った時に話が合わない
  • 変なポジティブ思考で面倒だった
  • 何かに勧誘された
  • 自分の現状を否定された
  • SNS上で頑張っている様子がうざい
  • 自分たちは違うアピールが痛々しい
  • 実力もないのにあるようにしているのがうっとおしい
  • 自分の成長より、他人に不満を持つ

こういった一部の行動力のある自己啓発本を読む層はリアルでも、SNSでの活動も熱心で、目立つので、その様子に嫌悪感を感じる人がいるのでしょう。

”自己啓発”というものは、読んで字のごとく「自分で進化・向上していくこと」を目指すものです。しかし、セミナー漬けになっている人のなかには、「何でアイツはこうやらないんだ?」と他人が変わってくれないことに不満を持つ一方、「自分が変わろう」という意識が、あと一歩だけ足りないケースも見られます。

『「自己啓発」は私を啓発しない』204ページ

著者は、「セミナーはいい人が多く集まるコミュニティーのため精神の安定にもとてもいいのです」と前置きしたうえで上記の引用のように述べています。

こういう他人への不満を持つ面倒な人は私もみましたし、私もこういう人であった時期はあります。

実際に嫌な思いをされた方、嫌な投稿を見た方は不愉快な思いをされたと思います。それでも自己啓発本を読むすべての人がそうでないので、やはり本が悪いのではなく、その人の問題だと思っています。それが自己啓発本批判につながっているのは残念です。

利己的な人は、極端にいえば、「自分のこと」と「今のこと」しか関心がない。それに対して、利他的な人は「自分のこと」や「今のこと」ばかりでなく、「他人のこと」や「社会の未来」にまで関心をもっている。利己的な人は、自分の今の損得ばかりを考えて行動するので、短期的には損をすることが多いが、長期的に見るとかならず損をする(後略)

『「自己啓発病」社会』213ページ

自己啓発メディアが利己的な人間を量産しているようにも書かれていますが、強化されることはあっても、多くはもともと利己的な人間だと考えています。

偏った読書は偏った考えをもたらすこともあるので、自己啓発本に影響を受けて、そのような面倒な人になった人もいるでしょうが、ごく少数だと思う理由は以下です。

自己啓発本を読む人が陥る罠

本を読んだら、一部の行動力のある人はたいてい何かのセミナーや勉強会、読書会に参加することになるはずです。

本以上にそこに参加していたり、そこでの人間関係の影響が大きいのだと思っています。そういった集まりに参加している人の中には以下のような意識が生まれる人もいます。

  • セミナーや会というものに参加している(勉強している)自分
  • 成長している(ように感じる)自分
  • 職場や学校など以外のつながりがある自分
  • 集まりに参加し、世界が開けたように感じる
  • 自分はみんなと違うように感じる

こういった気持ちが芽生える人の多くは、職場や今の状況、自分に満たされない気持ちをもっている人、何かしたいと思っている人、今の自分は「本当の自分」ではないなどと考えている人たちです。もし、順風満帆の生活であれば、ただ新しいことを知ることや新しい人に出会うことが楽しいという気持ちになるでしょう。

個人的に経験した感情なのですが、職場に不満があり、セミナーや会に参加していた時に「職場の人は何も学んでないけど、私はいろんなセミナーや会に行っている。あなたたちとは違う。」と本気で思っていました。言葉にこそ出しませんでしたが。

いや~、改めて振り返ってみるとなかなか恥ずかしいですね。

そんな私でも自己啓発本を読んでいるだけではさすがにそんな気持ちにはなりませんでした。実際に行動に移してしばらくしてから、半年ぐらいでしょうか、そういった集まりの常連のような顔ができるころに、批判されるような人が出来上がるのだと思います。

ただし、こういったブームや高揚感はいつか終わりますし、私の場合そう長く続くものでもありませんでした。なぜなら実際に「周囲と違う」私は現実には存在せず、周囲と同じ自分がいるだけだと気が付くからです。さらに、セミナーや会に参加している人の多くが、向上心を持って参加するというより単純に楽しんでいたり、「〇〇をしたい」と言いながら行動に移せていないのが確認できるからです。

キラキラして見えた参加者たちの中には、いろいろ不満を言いながら勉強はしているみたいだけど、結局職場の人たちとそう変わらないなという思いを勝手に抱いていました。

勝手に「できる人」と思い、違ったら残念に思うという失礼な人間でした。
ただ、参加した集まりによってかなり違うでしょう。

熱が冷めると適当な頻度で参加することになり、「周囲と違う私」は影を潜め、また解消できない不満と不安を抱える日々へ戻ります。一瞬の高揚感はセラピー的な役割もあったかもしれません。偽物だ、時間の無駄だと思うこともできますが、辛い状況の中のそれもまた救いになりました。

共通する志向として、自己啓発書(自助本)には、それらを読む個々人がおかれた状況を改善させるための、あるいはその時々の自らのあり方を確認するための応急処置的な機能がまずもって期待されているといえるだろう。

『日常に侵入する自己啓発』44ページ

応急処置であっても人々の不安への解消や、行動指針として参考にする手軽に読める本として自己啓発本は便利です。

自己意識の変容が先にあるのか、自己啓発書を「読んだから」変容が起こっているのか、同調査からは明らかにすることはできない(後略)


『日常に侵入する自己啓発』34ページ

日常にすごい人たちをSNSなどで見ない日がなく、自己肯定感のゆらぎや、不安が多い現代において、この問いには、ほとんどが自己意識の変容が程度の差こそあれあったうえで、自己啓発本を読んで自己啓発の意識がクリアになり、セミナーや勉強会などのリアル自己啓発で補強されるイメージです。

逆に自己啓発本だけで、影響を受けることができるというのもすごいことだと思います。

自己啓発本を批判する人たちが読んでいる本は?

では、自己啓発本を批判する人たちはどんな本を読んでいるのでしょうか?

想像でしかないのですが、例えば小説は読んでいそうですが、いかがでしょうか?小説を読んでいる人だと現代社会では概ね批判や嘲笑はされないと思います。さらに、小説を読むと、人の気持ちが分かるようになる、想像力が育まれるという良いイメージがないでしょうか?

私は長く、多くの人が小説をよく読む職場にいました。でも残念ながら、小説をよく読んでいる人の中には、いじめる人、自己中心的な人、人の気持ちを想像できない人、そういう人をたくさん見てきました。

では、私が小説批判をするかというと、しません。その人たちの想像力を育まず、優しい気持ちも持たせず、相手の気持ちを考えない原因が小説にあるわけではなく、本人にあるからです。

自己啓発本も一緒だと思うのですがいかがでしょうか?

嘲笑される時期の私を振り返ると、確かに痛いのです。自己啓発本は、痛い私を生み出すきっかけになったかもしれませんが、行動する私も生み出しました。

無駄な行動も多いのですが、何もしない無駄よりも行動した無駄の方が私には得るものがありました。

自己啓発本を読む一部の面倒な人が悪目立ちしているので、本がその人たちの代わりに批判対象になっていますが、どんな本を読んでも批判されるような人はいるのです。

ある会で知り合った自己啓発本ばかり読む人は利己的な人でしたが、別の場所で会った自己啓発本ばかり読む人は内容をよく実践して人の気持ちもよく想像してくれる人です。
ジャンル関係なく「すべての本は尊い」と本を読みまくっていた人が誰よりも本好きでした。

本を読むことで想像力を鍛える

私はオンラインの英会話を7年以上受講しています。いろんな先生に会ってきましたが、表立って悪い評価をしたことは一度もありません。一度だけカスタマーセンターに報告したことはあります。

批判コメントをしないのは、評価を気にしたり、先生選びの基準にしている人が少なからずいるからです。報告した態度が悪かった先生も、誰かのお気に入りの先生なのです。また、誰かが私の評価を見てその先生を選ばなかったら、もしかしたらその人にとって最高の先生との出会いをなくしたり、学びのチャンスを奪うことになるかもしれないのです。

ちなみに、お気に入りの先生がボロクソに書かれていた時は、良いコメントを入れて応援しています。

批判自体が悪いものではありませんが、どういう言い方、書き方をするのがいいかをみんなが考えられるとより優しい世の中になるのではと思います。

嘲笑した自己啓発本には、著者も編集者も、校正者もイラストを描く人もデザインをする人も印刷をする人もそして本を売る人も、多くの人が関わっています。そんなふうに関わった本が書かれるとすごく悲しいことではないでしょうか。批判するときは少しだけ関係者の気持ちも考えてもらえると嬉しいです。

いつか私も本を出版したいという野望があり、その時に批判されたくないというチキンなヤツなので、ぜひ批判は優しくということを私のためにも、将来あなたが本を出版するかもしれない時のためにも、悪口や嘲笑は身近な人たちだけの秘密にしておきませんか?

自己啓発本を批判するほど本を読んでいる人だからこその、文章力も他者への想像力も存分に発揮して発信して欲しいのです。

自己啓発のゲームへの参加

だが自己をめぐる問いに、はっきりとした答えをすぐ出し、行動に移すことばかりがつねに「正しい」あるいは「善い」わけではないだろう。「自己とは何か、どうあるべきか、そのために何をすべきか」そのものではなく、「自己とは何か、どうあるべきか、そのために何をすべきか」を自然と考えさせられてしまうような社会の構成に目を向けることも、正しいかどうか、善いかどうかは全く定かではないが、自己という対象に向き合う一つのアプローチとしてありえるはずなのだ、そう筆者は考えるのである。

『自己啓発の時代』258ページ

著者は、「自己のあり方をめぐって少なくない人々は、自己啓発という「ゲーム」に参入し、挑む事が唯一の選択肢であるように考えているが、降りることも一休みすることも、違うゲームを始めることも選択肢としてありうるのだ」とすすめていますし、この通りだと私も考えますが、同じくらい、多くの人に自己啓発のゲームにも参加して欲しいと思っています。

現代人の多くの人には時間があります。

その人たちが、自己を向上させようという気持ちを持たなければ基本は「暇」なのです。その暇は何に消費されるかというと、各種娯楽です。さらに人の悪口や噂話、いじめ、飲酒、賭け事などに向かいます。

暇を楽しむ人も、暇だから勉強する人も本当に少ないのです。著者の周囲にはいない人たちでしょう。自己を向上させたいという気持ちを持つことは基本的にはとても良いものです。自己啓発本というきっかけで自分を成長するということに興味を持ってくれる可能性を広げることも一つの手段としてあってもいいのではないかと思っています。

そんなゲームに多くの人が参加する時には、自己啓発本の著者にも出版社にも良書だと言われる本を出版していただき、多くの学びを支えて欲しいと願っています。

読みたい本は「後で」と思うと忘れてしまうので、すぐにタスクにして読みたい本リストを作っています。これからも読みたい本がたくさん出版されるのが楽しみです。

Youtubeの動画もご覧ください